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2012年1月

2012年1月29日 (日)

厳しい幼児の声、集中がない。

タイトル---厳しい幼児の声、集中がたりない。第1130号 24.01.29(日)

 昨日は厳寒の中、24名でお稽古しました。稽古にきてくださる子供たちは大変毛並みがいい人ばかりです。まずは道場いりして、すぐ漢籍の言葉の書き取りをはじめてくれます。子供たちには漢籍の言葉は難解であるということは理解していますが、それでもいいと思います。

 かく申す私は、現職時代、昼食時間の半分・30分間を利用して、『論語』『孟子』等々、原文、訳文、用語の解説を毎日書いたものです。当時の私は、円心会道場で書き取りをする子供たちと何ら変わりのないくらい、何がなんだか分からなかったのです。でも、今日、子供たちに漢籍をよんでください、というお願いは出来るようになりました。だから、書き取りをする子供たちは将来必ず役立つ筈です。

 ここで大事なことは、親御さんがそういうことは大した効果はないと早合点し、子供のやる気を削ぐようなことをすれば、そういう処の子供さんには大した教育効果はないでしょう。

 

 さて昨日は、子供たちを二組に分けて型などをして貰いました。上級の組は大体2年生以上で簡単な型は出来るグループです。低級のグループは4歳児から2年生くらいで入門したての新人スターたちでした。

 最初に上級グルーブに型をして貰った時のことです。4..5歳の子供たちは前列に正座して先輩の型をみてもらいました。

 先輩グループが終わってから、判定をしてもらいました。はじめは半分が△でした。ところがその中のひとり、竹中太一君が、「しゅうちゅうがない」と指摘しました。多分「集中してない、真剣さが足りない」ということであったろうと思いました。

 思わずびっくりしてしまいました。当の本人は大してできないのですが、その観察眼にびっくりしたのです。思うに、どんな子供も、真剣にみているということです。だから、4.5歳の幼児だと思って見下げてはならないということだと思いました。この太一君は、ときとどき大人顔負けの質問をするのです。

 稽古の時、他の師範に任せながら、私は子供たちの間を歩いたりするのです。ところが、「あなたはなぜやらないのか」という質問を受けたことがありました。この時もびっくりしました。手を結ばない人、腰を落としていない人がいるから、そういう人に注意をしてあげるのです、と説明をしたら納得して貰いました。

 ここで母上様にお願いです、こういう場合、よけいなことを言うな、とさえぎらないで欲しいのです。よくみているね、すばらしいね、と褒めてあげてください。こどもはみているのです。

 特に夫婦が寝床で仲良くしているのを見て見ぬふりをしているみたいです。山田家の子供たちは、時たまそういうことを口走ったりしたものです。

 仲良きことは美しきかな、と。

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2012年1月27日 (金)

昨夜は賑々しく稽古しました。

タイトル---昨夜は賑々しく稽古しました。第1128号 24.01.27(金) 

 

 昨夜の空手道稽古は13人でした。寒い冷たいなんて言うと荘内の皆様に笑われるでしょうが、大声を出して、気合いを入れ稽古をすると暖かくなってきます。

 参加してくれる子供たちに感謝をしたいと思う次第です。全く身体を動かすのに億劫だった子供が、年月を経て、上達して行く、なんて素晴らしいことだろうと思います。何もしなくても子供は成長して行きますが、大事なことは「人の道を踏み外さない」ことだと思います。

 子供の頃は、何が正しいのか、悪いのか分別がつかない処がありますので、それを社会経験を経た年寄りが教え諭すことは大事だと思います。

 

 昨年入会した子供の母親様で、気の利いたすばらしい方がおられます。その子供たちは木曜・土曜の両方に稽古にきてくださいます。

 やがて素晴らしく成長するだろうと思います。その二人の子供は、『南洲翁遺訓』を覚える事にも極めて積極的です。将来が楽しみです。

 同じく教えても、頭に、身体に入る人、入らない人とさまざまですが、身につかない人は人生の無駄遣いをしているみたいです。

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2012年1月25日 (水)

昨夜は南洲会勉強会でした。

タイトル---昨夜は南洲会勉強会でした。第1126号 24.01.25(水)

 昨夜は、南洲神社での、今年最初の勉強会でした。『南洲翁遺訓』は第41章~45章までを拝読し、続いて口語訳を全員で読みました。三十数年『南洲翁遺訓』を読み続けていますが、何回読んでも心が洗われる思いです。

 第41章

 「身を修し己れを正して、君子の体を具うるとも、処分の出来ぬ人ならば、木偶人も同然なり。」

 荘内南洲会小野寺理事長著『南洲翁遺訓』の解説によると、

 「修養し自分を正しくして、他から見て立派な君子に見えても、何か起こった時に適切な処置対応の出来ない人は、木で作った人形と同じことである」

 とあります。

 このくだりを見て、政治家が心して貰わなければならない問題だと思うのですが、同感だ、という人は多いでしょう。

 末尾にある

 「文は鉛槧(えんざん)に非ざるなり、必ず事を処するの才あり。武は剣楯(けんじゅん)に非ざるなり、必らず敵を料(はかる)の智あり。才智の在るところ一のみ。」

 

 「文とは筆と紙であらわすものだけではない。必ず事を明らかにする才能を身につけることが必要である。武とは武器の多少優劣できまるものではない。必ず己の知恵によってうまく敵を料理することである。この才と智が共にあってはじめて成果は上がるものである。」(前掲書)

 『南洲翁遺訓』が刊行された時分とは時代が異なるわけですが、人間が生きる以上、人と人との関係は大抵相違ないものと思います。

 要は誠心誠意、事に処することが肝要ということでしょう。私心なく、勤勉にということは『南洲翁遺訓』が一貫して説いていることなのです。

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2012年1月22日 (日)

昨日の稽古は27人集まりました。

タイトル---昨日の稽古は27人集まりました。第1123号 24.01.22(日)

  昨日の稽古には27人が集まりました。最近入門した4歳児の新人スターたちは迚も楽しんでくれています。一番前に陣取り、三雲悠くん、森永礼くん、美女の木場彩ちゃんの3人が大声をだし、先輩を引っ張っているのです。恥ずかしさも分からない3人は、眼をひきつらせ、それはそれは大きな声を出してくれています。

 それに比し、小学2.3..5年の先輩たちはオセをつくり、声を出さないのです。私は腰を落とさない子供たちの内股をピシャピシャ叩いてまわりました。これが小学校なら私は暴力先生として懲戒免職になるところでしょう。

 子供を愛するなら厳しくしつけるべきです。私は母親にそのようにして育てられました。それでよかったと感謝しています。人間、少々で死にはしないのです。

 厳しい人生に逞しく生き抜く知恵を、大人は子供たちに教えるべきだと思っています。甘えさせて育てられた同級生はことごとく亡くなっています。

 そして礼儀作法も厳しく、教えなければならないのです。

 今日の読売新聞に橋下知事が、市役所の幹部職員に国旗への拝礼を厳しくお願いしたという記事が掲載されています。起立を守り、姿勢を正し仕事をするということは、この姿勢が市民へと行くのです。これは当然なのです。それに反したい人はさっさと辞めるべきです。

 先の最高裁のさし戻し裁判について、若い修行者たちに意見を聞きました。「あれはおかしい」との意見ばかりでした。これは裁判所の判事たちに目を覚ませという国民運動をしたらどうだろう。多分、青法協出身の判事たちであろうから。

 処分された先生たちは、一種の秩序を乱しているわけです。そういう大人に教えを受けた子供たちこそ、迷惑だと思います。

 先の「日本空手道少林流円心会新春の宴」についてアンケートをもとめました。異口同音に楽しかったと書いてくれています。

 多様な解答を拝見し、それぞれあるものだな、と思っているところです。要は、自分が主催者になったつもりで、考えれば明快な解答が書けるのです。参加した全員が、幸せに包まれるような集いというものが一番いいわけです。

 話好きな人は時間が欲しい、と思うだろう。そういう人は、自分で主催して市民文化ホールあたりで講演したらいい、と思います。

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2012年1月18日 (水)

月曜日の空手の舞、受講生4人。

タイトル---月曜日の空手の舞、受講生4人。第1119号 24.01.18(水)

 以前、空手の舞の指導は土曜日隔週にしていたのですが、海江田さんが月曜日が良いということでしたので、昨年末からそのようにするようになりました。昨昨日は海江田さん、西川兄・妹、奥はるなさんの四人がやってきました。

 5時~5時55分まで指導をしました。それは私の行事がその後詰まっていましたので、そのようにしたのです。

 初めての3人は海江田さんが自信たっぷりに舞うのでびっくりしていました。新人3人が1年間続けば、海江田さん同様うまくなると思います。それは手前味噌ですが、指導がいいからです。いろいろなお稽古ごとをしてきてよかったと私は思っているのです。

 この時父兄に言ったことは、私が指導する内容は、単なる空手のけいこ、舞いではないのです。人間の一生に身につけなければならない人格者たらんとする精神の修得への訓練・学びなのです。

 今の学校教育では人は育たないと私は思います。頭はよくなるでしょう。先生たちが勉強を教えるからです。例えばある先生が、道徳的なことを教えようとすれば、父兄・保護者から余計なことはしなくてもいいから、偏差値向上に資するものをして欲しいと言われないでもないからです。

 話題は変わるが、先日最高裁で、君が代斉唱時起立せず処分された先生たちを無罪ともいえる判決をしたことに違和感を感じたのは私ひとりではないと思います。学習指導要領に違反した先生を処分するのが何が悪いのでしょう。こういう判決を下した裁判官は名前等々を週刊誌あたりで公表してほしいと思います。それは、そのことが今後の日本国の治安を揺るがすことになりかねないからです。歴史の審判をしてほしいのです。

 学校現場で君が代斉唱の時、起立せんでもいいと先生が言ったら、何もわからない子供たちは先生のいうようにするでしょう。そのことが、その子供の一生に不幸をもたらすことにならないと誰が断言できるのでしょうか。

 国民が、自分の国を愛することが何故悪いのでしょう。国旗掲揚、君が代斉唱をしたからと言って何も右翼にはならないのです。国旗は国を象徴する旗であり、君が代は国家の歌であるので当然子供の時から慣れ親しむようにさせるべきだと思います。そのことが従順で辛抱づよい国民を養成することにつながるのです。

 私は中村天風師の本を数多所有し、講演テープも持っています。その講演の中で天風師は皇国史観ほどつまらないものはないと言っています。天風師は愛国少年だった人なのです。ヒマラヤの人に助けられた天風師は何も日本人だけが優れているのではない、と強調しています。同感です。国は違っても、人と人が信頼し、共助して生き抜くということこそがいいと思うのですが。

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2012年1月15日 (日)

新春の宴、殊の外好評でした。

タイトル---新春の宴、殊の外好評でした。第1116号 24.01.15(日) 

 昨日は本部道場での、今年最初の稽古でした。五時丁度に竹ノ内兄弟が道場入りしました。すぐ漢籍の言葉の書き取りをはじめました。第56号、『三国志』は〈志を白刃に降さず〉と教えています、というところを書いてもらいました。

 1月8日の新春の宴に出席した子供たちに感想を聞きました。一人の例外もなく、楽しかった、また参加したいと答えてくれました。私自身はキリキリマイの多忙ですが、そのことが前向きになり健康につながるのだ、と認識・感謝しています。

 ある母上様は「新春の宴にお誘い戴き有り難うございました。お手伝いもできず申し訳なく思います。初めて頂いたトロフィーを玄関に飾っています」と書いてくれていました。人格ほとばしるお心ですね。

 稽古前に『南洲翁遺訓』を書いてくるノートにコメントを書きました。20冊ありました。4歳児以上の子供たちが、あの難解な『南洲翁遺訓』を書いてくるのです。例えば三雲君が書いたとします。そのノートに「三雲南洲翁様に私がおしえてもらっているようです。ありがとうございす」と書くのです。その子はうれしいでしょうか、いずれでしょう。こうやって子供たちに名誉を与え、引っ張って行くのです。

 気の利く母親様は、そのコメントに「お褒めの言葉、ありがとうございます」と書いてくれるのです。そうやって師匠と保護者の会話があれば子供は、強く素直に、有能に育つのです。その母親の精神が子供に投影するのです。

 昔、ある子供の父親が「子供が好きですることだから、親は関係ない」と私に言った人がいました。心のない無責任な発言です。親の気持ちが語らずとも子供には投影するのです。天風師の書を読んでみてください。本当はそういうことなのか、ということがわかります。それを新興宗教が利用して金集めをしているのです。

 戦後、平和と安全のみが強調され、するべきことをしなくなりました。先生も生徒も同じだというのです。そういうことは絶対ありません。子供は何も知らないのです。だから、優しく厳しく教えなければならないのです。人権という意味では同じでありますが、先生と子供では違うのです。

 現在執筆中の『語録 処世の要諦』から引いてみます。

資格が風格となるように----どんなに頭がよくても、人が持っていない資格を取得できたとしても、それに相応しい品性を身につけなければ、却って自らの人格を落とすことになる。〉

 頭を働かせましょう。気の利く人間になりましょう。これは私の母親から厳しくしつけられた言葉です。

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2012年1月11日 (水)

神戸自動車板金工場様へ挨拶に伺いました。

タイトル---神戸自動車板金工場様へ挨拶に伺いました。第1111号 24.1.10(火)

 1月8日に開催した「日本空手道少林流円心会 新春の宴」に来賓としてご臨席戴いた神戸自動車板金工場・宇都影義社長様に、ご挨拶に伺いました。

 何時ものことながら、ご高説を拝聴すると心が洗われて参ります。今日は「経営の三ケ条」を戴いて参りました。

 骨子は、1.すべての経営はお客様に始まり、2.お客様はどこの工場を選ぶか、3.お客様は社員の姿勢と態度に関心を示し、一生懸命する企業を好きになる、という三ケ条でした。

 当然と言えば当然のことなのですが、これが出来ないのが人間社会の現実なのです。組織が大きくなればなるほど、労働組合が強くなり、賃金を如何に多く貰うか、いかにして楽をするか、という方向へ行くのです。私はそういう事例を数多見てきました。

 それに比べ、神戸自動車の社員の方々の仕事ぶりは誠に見事なのです。社長の精神に隙がないように、社員の方々の動作にも全く無駄・隙がありませんでした。心底から、車の修理に命がけで取り組んでいるのです。真心があふれているのです。

 お客様は、修理工場が真剣にしているか、手を抜いているかは分かりません。でも、見ていなくても、真剣に修理して戴いた車を運転した時、作業している方々の心が伝わって来る筈なのです。

 社員の方々へ申します。あなた方の仕事ぶりは天が認知してます。懸命に懸命に働いてください。そのことが精神的充実感を培養し、生きる原動力となり、長生きに繋がるのです。

 かく申す私は、私の道場に来てくれる、幼い子供たちのために、粉骨砕身面倒を見ています。私は、天がどう観ているか、私心ありやなきや、と誠心誠意取り組んでいます。宇都社長様より一歳年上の私も老骨にヒビが入っていますが、自分が好きで始めた空手道場で将来がある子供たちに、人生を謳歌するための処方箋を訓示しているのです。その為には、人様の何倍も本を読み、人様の何倍も苦労をしようと張り切っています。

 これからも日本の国で仕事をする人々の範として、精励されますことを祈念しています。 

 このブログをご覧になられた方は、是非神戸自動車板金工場様へ足をお運びください。そして社員の方々の献身的な作業ぶりを通じて、貴方も、仕事の尊さ、仕事を通じての人間学を学んでくださるよう切望します。そのことがあなたの精神をより豊かにすると確信するからです。

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2012年1月 9日 (月)

新春の宴を開催しました。

タイトル---新春の宴を開催しました。第1108号 24.01.19(月)

 

 昨日は、46名の方々のご出席を賜り、賑々しく新春の宴を開催しました。式次第はつぎのとおりでした。

         新春の宴 式次第

 日本空手道少林流円心会

1.枝元真一様ご逝去に黙祷

2.神前に礼拝         二礼二拍一礼

3.開会の挨拶         

4.会長挨拶

5来賓挨拶         神戸自動車  宇都影義社長

                大雄山南泉院御住職 宮下亮善先生

6.免状授与

7『南洲翁遺訓』拝誦 第25章 第21章 第1章

8.合唱          一本の杭

9.詩吟合吟        日本空手道少林流円心会新春の宴を詠ず 味園博庵

               荘内南洲会を詠ず

10..門下生新春の抱負  木場学都 小学2年生

                 三雲圭登 小学2年生

                 海江田愛実 小学4年生

                 山田護久  小学6年

 開宴

11乾杯の音頭

12.自己紹介          46名全員

13.閉会の挨拶

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 以上が式次第でした。一本の杭の合唱といい、『南洲翁遺訓』の発表といい、それはそれは素晴らしいものでした。お母様方の自己紹介も素晴らしいものでした。子供たちの作文も後日、紹介したいと思います。

 ご臨席戴いた宮下和尚様は、素晴らしい宴であったとのことでした。こういった会合の後片付けは殆ど独りでしているのですが、昨晩は、木場啓介師範、上山指導員が協力をしてくださいました。

 今朝は、七時から2時間半かかってゴミの仕分け、清掃等々一人で行いました。掃除が好きで、読書が好きで、整理整頓が好きでとなれば、前向き発想ですから、健康にもよい分けです。

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 私のブログは、OCNとココログを書いていたのですが、OCNが調子が悪く、第1105号を以てOCNは中止しました。その代わり今日からAmeba(アメーバ)にて書くことにしました。1月9日、第1107号で「新春の宴を開催しました」と数行書きました。

そういうことでございますので、今後ともなにとぞよろしくお願い致します。

Ameba新ブログはこちら

http://ameblo.jp/misohiro/

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2012年1月 7日 (土)

食欲を満たした後の事『菜根譚』

タイトル---食欲を満たした後の事『菜根譚』。第1106号 24.01.07(土)

 『菜根譚』 26

〈飽後に味を思えば、則ち濃淡の境都(すべ)て消え、色後に婬(いん)を思えば、則ち男女の見(けん)(ことごと)く絶ゆ。故に人常に事後の悔悟を以て、 臨事の痴迷を破らば、則ち性定まりて動くこと正しからざるは、なし。〉

〔訳文〕 食欲を満たした後に味のことを思ってみると、うまいまずいの区別もすっかりなくなり、情事を満たした後に色欲のことを思ってみると、男女の欲もすっかり消えてなくなる。それ故、人は常にその事が終わった後の気まずさを思い浮かべて、その事に臨んで、その場で起こる愚かな心の迷いを醒ますようにすれば、本心がしっかりと定まって、行動にまちがいがなくなる。

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〔コメント〕 今日はこのブログをOCNで書いたのですが、更新が出来ませんでした。そういうトラブルは老人には苦手であり、ココログで書くことにしました。

 上の解説で「本心がしっかりと定まって、行動にまちがいがなくなる」とありますが、それまでに参考になる書を読むことが大切だと思います。

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2012年1月 5日 (木)

糞土に生ずるうじ虫『菜根譚』

タイトル---糞土に生ずるうじ虫『菜根譚』。第1104号 23.01.05(木)

 『菜根譚』 24

〈糞虫は至穢(しわい)なるも、変じて蝉となりて露を秋風に飲む。腐草は光なきも、化して蛍となりて采を夏月に耀(かがや)かす。固(まこと)に知る、潔は常に汚より出で、明は毎(つね)に晦より生ずるを〉

〔訳文〕 糞土に生ずるうじ虫は、きわめて穢いものではあるが、後に変じて蝉になり、白露を飲みつつ秋風によい声で吟ずるようになる。また、腐草はもと光がないが、後に化して蛍になり、夏の夜に美しい光彩を輝かすようになる。これによっても、なるほど、潔(きよ)いものは常に汚れたものの中から生まれ出るし、光り輝くものは常に暗やみの中から生まれ出るということがわかる。

〔コメント〕 普通人間は、よく考えもせず、見た目ですぐ判断しがちなところがあります。私も今回の事例のような場合は、そうでした。私は、村上和雄著『生命の暗号』を昨年読んでから、考え方が大きく変わりました。たえず勉強しなさいということなのですね。

 『菜根譚』はOCNに書いていたのですが、OCNが調子が悪く開けなかったでココログに書きました。

 今日、大坪師範と枝元真一さんの葬儀に行って参りました。

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2012年1月 3日 (火)

円心会後援会会員・枝元真一様、ご逝去のお知らせ。

タイトル---円心会後援会会員・枝元真一様、ご逝去のお知らせ。第1102号 24.01.03(火)

 

 誠に残念な、訃報のお知らせを致します。円心会で空手道修行していた枝元烈士君、優介君のお父上・枝元真一様(53歳)が、本日、午前零時過ぎ、ご他界されたとご連絡がありました。

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 通 夜 日 時     1月4日(水) 午後6時~

 葬 儀 日 時     1月5日(木) 午前11時30分~

 

 葬祭場 住所      鹿児島県姶良郡姶良町東餅田470-4

 葬祭場 名称      JA葬祭 やすらぎ 西部 斎場

 電 話 番 号      0995-67-4444  

 F A X 番号      0995-67-4242

 

 喪  主          枝元知里様 (枝元真一様ご令室)

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  ご人格豊かな、素晴らしい枝元真一様の、ご逝去をご報告申し上げ、 謹んでお悔やみ申

  し上げます。

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