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2011年11月

2011年11月27日 (日)

『南洲翁遺訓』を朗朗と発表した宇都光一君。

タイトル----『南洲翁遺訓』を朗朗と発表した宇都光一君。第1064号 23.11.27(日)

 昨日26日の空手道修行に参加した人々は21名でした。先週昇級試験を実施し昇級者に帯を贈呈したものだから、それぞれ意気高揚し気が漲っていました。

 『南洲翁遺訓』発表は第1章と21章を集中的に勉強をしました。終盤に全員で発表した時、吃驚しました。

 それは宇都光一君の声が全員をリードしていたからです。それはそれは大きな、透き通った自信たっぷりの声でした。過去、宇都光一君は、声は出さず、発表になじまない様子でした。蚊がなくようなという表現がありますが、声も出ず、小さな小さな声でした。何時、彼のDNAが目覚め、火を噴くかなと思案していました。それが昨日噴火したのです。それは長い長い待ち遠しい時間でした。

 『孟子』に次の言葉があります。

 〈為さざるあり、而る後以て為すことあり〉

 「俺はやらないぞ、しないぞという一徹心がある人が、やり出したら断断固として実践して行く、そういう人が有為なる人物だ」というのです。

 私がこの言葉を知ったのは30年まえでした。諸橋轍次著『誠明健』を購入し読んだ時のことです。

 宇都光一君の発表する時の態度は威風堂々たるものでした。空手道技術の習得という面からみたら、どちらかというと奥手の方なのですが、こういう人が遣り出したら、覚えだしたら、それは凄いのです。学校現場では当面成績の良い子供がチヤホヤされますが、教える先生たちが社会訓練をしていないから分からないのです。ただ、大学で勉強した程度ということなのです。長い一生では宇都光一君みたいな人材が、人々を啓蒙することになるのです。人々を救済するのです。指導するのです。

 父親の宇都伸一氏が私の道場に入門したのが40年前のことです。父親もどっしりとした人で、見事な国家観を有しています。昨晩、政治のホンのさわりを話した時、見事な解答が返ってきました。

 祖父は拙著『礼節のすすめ』でご紹介した宇都板金工場の社長さんなのです。祖父祖母揃って経営者としての見事な人格美を有しているのです。

 このブログをご覧になられた円心会の保護者の方々は、子供のあそびの範疇である取っ組み合いで、顔に痣が出来たとか、なぐられたという小次元のことでいがみ合いをしないで欲しいのです。

 私が指導する子供たちには、20年、30年先の展望があるのです。『南洲翁遺訓』を骨格として漢籍を学び、修己治人を目指し学問道に取り組んでいるのです。もし保護者がそういう高邁な目標・論理が分からず、親同士のいさかいをすれば、そういう親の子供は絶対伸びない、ということを主張しておきます。

 人間は、自ら死のうと思わない限り死なないのです。交通事故は別ですが。円心会で文武両道を研鑽する中から、国家に有為な人材が輩出すると確信しています。

 漢学者の白川静先生は、漢文教育を学校教育から除いて以降、子供たちがおかしくなったと著書に書いています。同感です。それは、ただスラスラ言える、読めるということではないのです。その意味するところを如何に血肉化するか、我がものとするかということなのです。『南洲翁遺訓』を40年学び痛切に思う今日この頃です。

宇都光一君の今後の飛躍を、どこの誰よりも、指導者として期待しています。ガンバレ、宇都光一君。

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2011年11月25日 (金)

11月24日、空手道稽古風景。

タイトル---11月24日、空手道稽古風景。第1061号 23.011.25(金)

 昨日の第二道場の空手道稽古風景をご紹介します。三々五々集まった子供たちは、正式に始まるまでの間、それはそれは賑やかです。

 私は読書をしながら子供たちを持つことにしています。道場に入って来た子供たちに、まず漢籍の言葉の書き取りをさせるのです。昨日の原稿は第51号 『易経』の言葉でした。

 『易経』は、〈多く前言往行を識(しる)し、以て其の徳を畜(やしな)う〉と教えています。「心ある人は古(いにしえ)の聖賢の言行を多く心にとどめ、自らの徳を保存し活用することに努めるのである」というのです。わたしたちも聖賢の教えを参考にしながら、努力したいものです。

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 B5版の紙の左側に書いているこの言葉を、右側に書き写すことにしているのです。それが終了してから正式に号令をかけて空手道の稽古に臨むということにしています。

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 ところが始まるまでの子供たちの無差別取っ組み合いは、それはそれは賑やかです、私はそれをみてニヤニヤ笑いながら読書をすることにしています。

 昨日は、投げ飛ばされた子供のお腹を足で踏みつけるということもありました。そして首に帯をかけて引っ張るということもありました。

 そういう状況を観察したので、始まる前に子供たちを諭しました。倒れた相手のお尻を手のひらでパタパタ打つのは善いが、お腹をけるのはあばら骨を折ることになるので絶対してはいけない、と厳しく教えるのです。危険なことと危険でないことを教えながら、遊ばせることが大事なのです。

 先日空手道をしている子供同士が、悪ふざけをしたそうです。A君の子の右目の上が少し赤くなったものだから、子供の両親が、B君の子供の家にどなりこんできたということを聞きました。

 子供のこういったジャレに、親は介入すべきではないのです。今日やられた子供が、明日は加害者になるのです。これが刃物を持つようなことがあったら厳しく指導しなければならないが、少々は見て見ぬふりをしたほうがいいでしょう。

 どの子も加害者になったり被害者になったりするのです。こういう過程を経て成長して行くのです。自分の子供を庇いたいのは人情ですが、同等に対応したいものです。内の子に限ってそういうことはない、と言っていてた同級生が、最高のワルになった例を数多く見てきました。

 強く逞しい子供にだてるためには、いろいろ経験させることが大切なのです。

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2011年11月21日 (月)

11月19日、組手試合をさせました。

タイトル---11月19日、組手試合をさせました。第1056号 23.11.21(月)

 19日、土曜日の稽古は二部までいれて29名の参加でした。一部では子供たちに始めて組手試合をさせました。

 緑帯・山田護久君、紫帯・大橋克実君、青帯・鶴田陸君、黄帯・竹ノ内颯大君の四名でした。決勝戦は鶴田陸君と竹ノ内颯大君の戦いでした。階級では一番下の竹ノ内颯大君が優勝でした。見事な上段突きを入れました。

 決勝戦で鶴田君の突きが、竹ノ内君の右顔面に当たり、反則注意を取られました。その時、竹ノ内君の右目は少し赤くなっていました。主審をした私が、怖いから試合を辞めますか、と聞いたら続けると言いました。まさしく男の気概です。竹ノ内君兄弟は、心根の優しい方なのでしょう、とっても穏やかであるし声も小さいのです。ところが組手試合の時の声は、大きな声でした。あ、男の子になりつつあるな、と観察しました。

 試合は顔を覆うメンホーなしで試合をさせました。小学生ですから、大怪我をすることはないからです。そして最近の子供たちに対する保護者の偏愛が私は気になり、打たれたらやり返すぞ、という気概が欲しいのです。

 特に最近の若者は、平和・安全を口にしますが、車にのると暴走をするのです。そして大けがへとつながります。これらは一貫して、戦後以来のGHQ政策に呼応した平和教育のなごりなのです。

 弱い者いじめをしてはならないし、ましてや外国との戦争もしてはならないと思います。だが、自分に厳しくし生き抜く度量を持って欲しいのです。自分を愛し、家族を愛し、郷土を愛し、国を愛する国民になってほしいと思います。

 国を愛するという表現を使用すると、曲解する似非平和主義者がいるが、そうではないのです。そういう平和主義者に限って好戦的なのです。私が町内会の愛護会長をした時、元労働団体の上層部にいたという男と何回か会いました。それはそれは傍若無人の男でした。好戦的な男でした。

 この私は半世紀空手道を修行していますが、極めて礼儀正しいし、言葉も丁寧です。人様に対して自分から暴言を吐くということはありません。大きな声で挨拶し、丁重に頭をさげることにしています。でも、いばりちらす人間には毅然として対決します。特に『南洲翁遺訓』を改竄しようとした男には、大声でくってかかりました。

 家内と結婚してまもなく、岳父が、「味園君、最近の若者は国家観念がない」と強い口調で私に迫ったことがありました。仕事熱心で、読書好きで、金儲けの出来ない、優しい岳父でしたが、そういうことに対しては強い信念を持っていました。

 電電に入社し、電気通信部にいる頃、私を中傷する陰口が聞こえてきたものです。曰く、「あの男は、ハイハイというイエスマンだ。信念もないじゃないか」と。

 あれから半世紀、信念を貫き通したのは私だけだと自負しています。私を中傷した多くは目前の栄進に目が眩み、甘い果実へと走ったのです。

 日本空手道少林流円心会は日本一の青少年教育の館だと自負しています。土曜日の稽古で『南洲翁遺訓』第1章、21章を徹底して勉強しました。

 「身を修するに克己を以て終始せよ」とはどういうことか、と問う私に、小学二年の西川蓮君が見事な解答をしてくれました。これを教育というのです。人を育てるということです。

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2011年11月16日 (水)

それぞれの楽しみ。

タイトル---それぞれの楽しみ。第1053号 23.11.16(水)

 家内と娘は昨日、汽車ポッポの旅に行きました。人吉から熊本まで蒸気機関車での旅が企画され、多くの人が集まったそうです。私たちの子供の頃はポッポーッという汽車だったのですが。旅に参加した人たちは大喜びだったそうです。

 私は金曜日、出版相談会に行くための資料点検できりきり舞いでした。それと空手の舞をお稽古する子供さんの母上様がおいでくださり久々にいろいろお話した処でした。如何に子供を強く正しく聡明に育てるか、という視点にたって。

 

 私にメールをくれた門下生の礼王子の母上様に返信を送ったのですが、二日連続送信不能で舞い戻ってきたため、事の事情を連絡するため、昨夕ご自宅を捜してお届に上がった次第でした。そうしないと、メールを見たか、見ていないかが分からないからです。そういう時にはすぐ行動を起こすのです。これが元気の秘訣なのです。全気で事を処すということです。

 礼王子の自宅前で、暗闇で目が見えないし困ったと思っていたら、子供が近寄ってきたので名前をいいお聞きしました。ここだよと教えてくれました。お見かけしたことのある顔だな、と思っていたら、円心会門下生のイケメンである三雲けいとくんでした。圭と君は私だと思って近寄ってきたのだろうか。

 礼王子は自宅で母上様に「突き」の指導をしてくれるのだそうです。手の角度が違うと「違う!! こう」と先生より厳しいということです。何とも言えない楽しい風景ですね。このブログをみられる方は、子供さんと一緒にそのように健康体操のつもりでしてください。くだらんサプリメントを飲むよりか遥かに効果があると思います。

 きりきりまいの昨日でしたが、指宿の師範は開聞岳に挑戦していたのだろうと思うことでした。とにかく全力投球で頑張りたいものです。

 昨日は、北朝鮮と日本とのサッカー試合がありました。会場の風景がテレビ報道されました。国家、君が代の曲が流れだしたら、それを打ち消すブーイングが起こりました。それを見て、日本の新興宗教を想像した次第でした。その新興宗教はそのような手法で、勢力を拡大してきたのです。

 昨日のサッカーの雰囲気は異様にも見えましたが、平和ボケした日本人はしっかりしないといけないなと思った次第です。以前のブログで私は、東北の復興と合わせ、日本人の精神の復興も課題だというようなことを書きました。その後、文芸春秋で亀政治家も同様のことを発言していました。

 とにかく、甘えてはいけない、ということです。自ら健康増進のため、身体を動かすことです。

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2011年11月13日 (日)

11月12日、空手道稽古風景。

タイトル----11月12日、空手道稽古風景。第1050号 23.11.13(日)

 昨晩の稽古は一部、二部あわせて23名でした。子供たちの稽古風景はそれはそれは楽しいし、面白いです。新しく入った5歳児の利かん坊たちが、したい放題にするからです。 それでも突きなどの時は、前の方に陣取り、目を光らせ力いっぱい突きをしてくれました。立ち方などわかる筈がないので、足の開き方についてそばに行き、耳元で足を開きましょうというとすぐ正常に反応するのです。

 幼児であっても、けなされるのと褒められるのはすぐわかるのです。だから、褒める、いわゆる名誉を与えながら指導すると、一所けんめいしてくれるのです。馴れさせるため私は、かねがねジョークをとばすものだから、幼児たちもそれを心得、私に襲いかかってくるのです。

 これからの日本を背負って立つ子供たちだから、指導する側も真剣にならざるを得ないのです。

 幼児の森永王子の目つきは、それはそれは凄いものでした。三雲悠元気王子の目つきもすごかったし、突きのスピートは先輩をしのぐものでした。

 終盤に昇級認定のための型審査を行いました。一年前は母親にだっこしてもらっていた山本ひなとくんも立派に型を行いました。そして私は絶対やらない、と決め込んでいた西川さくらちゃんが見事に演武しました。「私はやらない、とだだをこねている人間がやりだしたら凄い」というのが『孟子』にあるのですが、さくらちゃんは私が読んでいたとおりの方向に進んでくれています。演武した全員が見事に型を披露してくれました。指導者は、あの手この手で指導をしなければならないのです。そのためには指導者自ら学問道に徹しなければならないのです。

 空手道は単なる競技のためのものではないのです。人間を創る「人間学」を修めるものが根底になければならないのです。だから私は『南洲翁遺訓』を暗記させ、漢籍の言葉の書き取りをさせているのです。ただ、勝ちさえすればよいという視点でのスポーツは、精神が空洞化するような気がしているのです。

、空手道の修行で、仲間同士格闘をさせ体力をつくり、丈夫で病気をよせつけない体力づくりが優先されなければならないと考えています。そして漢籍等の言葉を暗唱させ能力を高め、精神を磨き、何物にも屈しない精神力と、決めたことは誠実に実行する、責任ある人間として成長して欲しいのです。

 そういう私に対して『南洲翁遺訓』にかぶれているという人がいました。ソ連の赤の広場に恋い焦がれ、そいう体制をよしとする偏狭な人間には異様に見えるかも知れません。私は西郷隆盛と胸襟を開いて語り合い、その言々を歴史的文言として人類のために刊行してくれた菅先生に満腔の謝意を評しているのです。両雄の精神の結晶だからであります。

 

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2011年11月11日 (金)

11月10日、空手道稽古風景。

タイトル---11月10日、空手道稽古風景。第1047号 23.11.11(金)

 昨夜の稽古に参加してくれた子供は5人でした。修行とは誠に偉大なものであると思います。全くできなかった子供たちが、月日を重ねるごとに空手道本来の技術を習得していく姿に心を打たれます。

 前号で「萬民の上に位する者『南洲翁遺訓』」を書き、空手道稽古をしていた木場啓貴君のことを紹介しましたが、子供たちも、そういった素晴らしい先輩を見習いたいと情熱を燃やしてくれました。

 最初と、最後に全員で拝誦する修行の誓いと『南洲翁遺訓』の発表は、それはそれは凄い声でありました。もしかしたら荘内南洲会の先生方にも聞こえたのではないかと思う位でした。72歳の私は、指導の度、最初の号令の声の大きさと、型を始める時の両手指がまっすぐ伸びているかを健康確認の指標としているのです。特に指先に気が入っていなくなったら、子供たちの前に立つべきではない、と考えています。『南洲翁遺訓』を子供たちに教える指導者の姿に気がなくなったら、荘内の皆様に申し訳ないからです。

 

 空手道技術の向上に全精力を持って取り組み、そして『南洲翁遺訓』を絶叫して拝誦する、なんと清々しい気分になることでしょう。菅先生を筆頭にする荘内の藩士の皆様は、西郷先生の大徳を世にしらしめることと併せ、国家日本を組織する人々の精神の健全性こそが要諦であるという視点に立脚して、『南洲翁遺訓』を刊行してくれたのだと思料しています。

 例えば、西郷隆盛の書簡が新しく出てきた、ということも大事ですが、私はそれより『南洲翁遺訓』の普及こそが喫緊の課題だと捉えているのです。それは青少年をはじめ人々の精神の栄養剤になるからです。テレビで頻繁に宣伝するサプリメント等以上の効果があるからです。表現は異なるが、心身統一法を創建した中村天風師の理論とも整合すると思うからです。

 南洲翁遺訓と共に歩いて30年が経過しました。これからもその精神に違背することのなきよう精進したいと思います。

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 閑話休題

 体重、脂肪等々計測できる計器を娘が発注し、今日到着しました。脂肪があることは是としている(腹部をうたれた時の防波堤になる)ので気にはなりませんが、有難いというか体内年齢が59歳だと計器が診断してくれました。現年齢より13歳若いということです。声の大きさだけは50歳位だと思いますが。円心会師範の先生方は測定してください。壮年師範で腹の脂肪がある山田、宇都師範はあまり気にしないでください。

 

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2011年11月 4日 (金)

空手の稽古に行きなさい!

タイトル---空手の稽古に行きなさい。第1040号 23.11.04(金)

 昨晩の稽古一部は、子供さんが二人でした。鹿児島の文化の祭典・おはら祭りの関係で一人もこないかな、と思っていましたが、二人やってきました。

 二人とも精悍で、空手暴力教室では大暴れするのですが、道場に入ってきた時、挨拶の「お願いします」という言葉に力がありませんでした。サッカーをしたりとか暴れまわって疲れているのかな、と尋ねてみたら、学校が休みであったこともあり、昼寝をしたりブラブラしていたそうです。

 そこに母上様が「空手に行きなさい」と厳命をくだしたようでした。やり始めは、目は死んでいるし、突きも気合いも元気がなくて、かねての二人ではありませんでした。

 「あなたのお母さんは最高ですね」と言って褒めてあげました。これが子供に対する母親の愛情なのです。自分の母親を思い出したからです。本当に具合が悪い時は母親は分かるのです。

 怠けとか、ズルのためだったら、子供に妥協してはならないのです。這ってでも行きなさい、という厳しい躾と応援が大切なのです。今の私は、幼少時代の母の厳しい躾と貧困家庭を維持するために精魂込めて働いてきたお蔭で元気なのです。

 私の場合、あれから半世紀以上経ち、仕事をする傍ら、読書をしてきました。そして安岡先生、天風師、幸田露伴等々、偉人哲人の書籍と出会い、読んできました。そして人生を学んできました。

 とにかく、健康で長生きしたいと思うなら、成功したいと思うなら、自分で決めた目標に向けて邁進することです。決して挫けないことです。働けば働くほど、動けば動くほど元気が出てくるのです。頭も冴えてくるのです。

 我が子を可愛く思わない親はいないでしょう。だったら二人の母親様みたいに、厳しい愛情のプレゼントをしてほしいものです。「愛情」とは愛の情けであるからです。そうして初めて母親様に心から感謝できる人間へと成長するのです。

 素晴らしい母親様のド根性に触れて、嬉しさが身体じゅうをかけめぐりました。そして私も元気を戴きました。

 膝枕王子の母上様も、かくあって欲しいと思います。

 二人の子供は帰る時は、何時もの元気な腕白坊主になっていました。おかあさん、有り難う。

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