『南洲翁遺訓』を朗朗と発表した宇都光一君。
タイトル----『南洲翁遺訓』を朗朗と発表した宇都光一君。第1064号 23.11.27(日)
昨日26日の空手道修行に参加した人々は21名でした。先週昇級試験を実施し昇級者に帯を贈呈したものだから、それぞれ意気高揚し気が漲っていました。
『南洲翁遺訓』発表は第1章と21章を集中的に勉強をしました。終盤に全員で発表した時、吃驚しました。
それは宇都光一君の声が全員をリードしていたからです。それはそれは大きな、透き通った自信たっぷりの声でした。過去、宇都光一君は、声は出さず、発表になじまない様子でした。蚊がなくようなという表現がありますが、声も出ず、小さな小さな声でした。何時、彼のDNAが目覚め、火を噴くかなと思案していました。それが昨日噴火したのです。それは長い長い待ち遠しい時間でした。
『孟子』に次の言葉があります。
〈為さざるあり、而る後以て為すことあり〉
「俺はやらないぞ、しないぞという一徹心がある人が、やり出したら断断固として実践して行く、そういう人が有為なる人物だ」というのです。
私がこの言葉を知ったのは30年まえでした。諸橋轍次著『誠明健』を購入し読んだ時のことです。
宇都光一君の発表する時の態度は威風堂々たるものでした。空手道技術の習得という面からみたら、どちらかというと奥手の方なのですが、こういう人が遣り出したら、覚えだしたら、それは凄いのです。学校現場では当面成績の良い子供がチヤホヤされますが、教える先生たちが社会訓練をしていないから分からないのです。ただ、大学で勉強した程度ということなのです。長い一生では宇都光一君みたいな人材が、人々を啓蒙することになるのです。人々を救済するのです。指導するのです。
父親の宇都伸一氏が私の道場に入門したのが40年前のことです。父親もどっしりとした人で、見事な国家観を有しています。昨晩、政治のホンのさわりを話した時、見事な解答が返ってきました。
祖父は拙著『礼節のすすめ』でご紹介した宇都板金工場の社長さんなのです。祖父祖母揃って経営者としての見事な人格美を有しているのです。
このブログをご覧になられた円心会の保護者の方々は、子供のあそびの範疇である取っ組み合いで、顔に痣が出来たとか、なぐられたという小次元のことでいがみ合いをしないで欲しいのです。
私が指導する子供たちには、20年、30年先の展望があるのです。『南洲翁遺訓』を骨格として漢籍を学び、修己治人を目指し学問道に取り組んでいるのです。もし保護者がそういう高邁な目標・論理が分からず、親同士のいさかいをすれば、そういう親の子供は絶対伸びない、ということを主張しておきます。
人間は、自ら死のうと思わない限り死なないのです。交通事故は別ですが。円心会で文武両道を研鑽する中から、国家に有為な人材が輩出すると確信しています。
漢学者の白川静先生は、漢文教育を学校教育から除いて以降、子供たちがおかしくなったと著書に書いています。同感です。それは、ただスラスラ言える、読めるということではないのです。その意味するところを如何に血肉化するか、我がものとするかということなのです。『南洲翁遺訓』を40年学び痛切に思う今日この頃です。
宇都光一君の今後の飛躍を、どこの誰よりも、指導者として期待しています。ガンバレ、宇都光一君。


最近のコメント