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2011年9月29日 (木)

ある師範の型

タイトル---ある師範の型。第1001号 23.09.329(木)

 前回で第1000号達成が出来ました。早速、圭悠の母親様から1000号達成のお祝いのコメントを戴きました。迚も、聡明で、謙譲で、健康的で、真摯さあふれる母親様です。そうでなければコメントすぐ打ってくれませんものね。本当に有り難う存じました。

 昨日ある師範が稽古をさせてください、学問もさせてください、と言って参りました。学問は第二回目でした。一時間、それぞれ書き取りをして、それから型をして戴きました。

 その師範は、空手道を修行して凡そ20年、途中、休んだ時期もありましたが、その後は精勤しているのです。

 基本型一番、続いてチントーの型を演じて貰いました。

 突きが誠に美しい。これは本人の精神性によるものです。全体的に、早い動き、遅くゆっくりとした動きがあるわけですが、全体にブレがない。

 至芸化された本能の動き、そのものなのです。私も公認六段に一発で合格したわけですが、私もこんなに上手かったのかな、と首を傾げています。多分、演武した師範が上手いだろうと想像しています。

 演武した型に空手特有のゴツゴツさがないのです。これが「芸」なのです。一般に空手道指導者で日本舞踊をお稽古している人はないでありましょうが、日本舞踊の師匠が見ても、お茶の師範が見ても、ダンス教習場の先生がみても、美的にもウットリする位の美しさがなければならないのです。これを人間芸術というのです。多分、エビゾウよりか昨日の師範の方がうまいと私はみています。

 その昔、中央公民館で鹿児島県下の空手道各流派の型演武大会がありました。その際、ご高名を馳せている、ある高段者が棒術の演武をしました。途中で間違いました、といってやり直しました。その後二回間違いました。合計三回間違ったことになります。

 若い修行者ならいざ知らず、高段者は練熟したものがなければならないのです。大会で型が一番だったとか、組手が強いというその前に、その演武にも気迫、気概、剛毅、優美さ、演じる信念がなければならないのです。そのことがひいては、思想と同居し、人の道を邁進するための処方箋となるのです。それが「修己治人」という人格陶冶の奥義に君臨することになるのです。

 その実像が安岡正篤先生であり、荘内南洲会の小野寺理事長の姿だと私は何時も拝見しているのです。

それにしても青年師範、上手くなりました。範士 八段の域であろうと思いました。

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コメント

空手道、人間学師範味園博之先生殿。
私は先生から空手と共に人の道を教えて頂いております。先生の話を週に一度2時間ほど真剣に聞くたびに「あっ、そうだ、そういう考え方があるんだな」と大切な物を拾ったような気持ちになります。それは仕事や人々の付き合いの中で摩擦やトラブルが日々身近に生じているからだと思います。そんな日常で、数々の本を読み漁り長年の指導をされてきた師匠の話は私を元気にしてくださる処方箋なのです。1,000件のブログ突破おめでとうございます。自分で決めたことをやり通す先生の克己心はなみなみならぬものがあります。私も兄と会う度にその話になってしまいます。
今後も文武両道で精進していきますのでご指導のほどよろしくお願い致します。


投稿: 啓介 | 2011年9月29日 (木) 23時16分

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